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息子の担任だったこともある先生です。S35年、横浜生まれ。4歳で父上の洋品店移転により千葉の船橋へ。勉強もジッとしているのも大嫌い、小学低学年で既に毎日曜朝に4km走っていたとか。
姉上の担任の姿に、カッコイイ!僕も小学校の先生になるぞ、と思っていたそうです。両親は繁盛する店にかかりっきりだったため、友達と拾い集めたビンを磨いて売ってはお小遣い確保。中高ではボーイスカウトやサッカーに熱中。また仲間達との遠出企画では常にまとめ役でした。
大学入試に失敗し浪人生活へ突入。克紀青年の初挫折となりました。明治大文学部(英米文学専攻)に入学、奥様とは当時の自然愛好会で出会われました。そして、小学校ではなかったものの、中学の英語教師として念願叶い出発。が、初の赴任先は、屈指の困難校で、生徒たちと付き合うため職員はジャージ姿だったそうです。生徒の世話や事務処理で毎晩帰宅は夜中、ストレスで吐血したことも・・・。サッカー部の顧問でしたが、学校の評判が悪かったため、練習試合の相手も滅多に見つかりませんでした。
転任4校24年の教師生活を経、最近は生徒・教員から自分が必要とされていると感じているそうです。とはいえ教務主任となり、担任する子らがいないことは寂しそう。専ら学校行事のスケジュール立案の合間に、先生方の親睦旅行の企画を立てています。
なお、いまだにジッとしていられず、試験監督の最中、廊下で腕立て伏せをする事もあるとか。
子供たちとはずっと関わり続けたいとおっしゃる内海先生にご興味のある方は、藤本までご連絡ください。
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